今回の調査では、土坑1基、溝1条、柱穴11基のほか弥生土器、土師器、須恵器など古墳時代や中世の遺構と弥生時代から中世の遺物を確認しました。
古墳時代の遺構には土坑があり、全容が不明なため性格は解明できていませんが、時期については、6世紀前半の須恵器坏身の小片が1 点あり、これを遺構の時期判断としました。
中世では、溝と柱穴があり、溝は、調査区の西端で検出した幅2mを超える南北方向の溝です。埋土に砂層が見られないことから、水の流れはなかったものと考えられます。遺物は、土師器土釜の口縁部が出土しており、室町時代の14世紀に時期比定されます。
〔まとめ〕 調査地の北側約50m に所在する北久米町屋敷遺跡1・2 次調査では中世から近世にかけての区画域が推定されるL字状に巡る溝や橋跡が検出されており、SD1 の性格については、町屋敷遺跡で見つかった溝と同じような区画溝とも考えられます。このことから、調査地には14 世紀頃の小規模な掘立柱建物が建っていたことが想定されます。
以上、今回の調査では久米地区における堀越川北岸の古墳時代・中世の遺跡状況を補充する資料が得られました。
|